大切で大好きなヨリブロの誇り
13人の家族みたいな一族、これが当たり前でした。

「サザエさんみたいな大家族やね」と言われることが何度もありました。でも正直なところ、「大家族」という感覚がありませんでした。それが、当たり前だったんです。小学校、中学校のころにはマンションで暮らす【核家族】に憧れていた時期もあります。
ヨリブロは昭和50年生まれです。一番古い記憶を辿ると、本家(じいちゃん家)の2階に家族と暮らしていた頃のこと。2段ベッドの上が姉で、下がヨリブロ。「上で寝たい」と親に文句を言い続けていた子供の頃の自分が、なぜか鮮明に浮かびます。
じいちゃんは、ヨリブロの父の兄にあたる「太っちょ」と暮らしていました。
太っちょ夫婦には子供が2人。9つ上のいとこと、その下のいとこ。
じいちゃん家の玄関を出て5秒ほど歩くと、もうひとりのおじさん「隣のおっさん」の家。
そこにもいとこが2人、年上のひとりと、ヨリブロと同い年のひとり。
物心ついた頃には、じいちゃん家の一室が姉とヨリブロの勉強部屋になっていました。
幼稚園のお迎えは、商売をしている両親の代わりに本家のママちゃんが来てくれて、
そのままおやつ、夕ごはん、お風呂、寝かしつけまで。
夏休みはじいちゃん家で、隣のおっさん家の2人のいとこと4人、本家のママちゃんにお世話になりました。
昭和の子供4人、今思えばほんとうに大変だったと思います。
小さいころの大きいいとこたちとの記憶は断片的だけれど、かけっこも、ひらがなも、一番上のいとこが教えてくれたと母から聞いています。当時の両親が休日に何をしていたのか、ふと気になります。今度実家に行ったら聞いてみようと思っています。
じいちゃん家の座敷で、みんなでわいわいご飯を食べたこと。夏の夜、庭でやっていたBBQのこと。
夕方のテレビをめぐって、じいちゃんの相撲とヨリブロのアニメで揉めたこと。
晩ごはんのおかずが煮物や魚しかなくて『ハンバーグしてよー』と文句をいい、『じいちゃんの口に合わんからダメ!』と言われていたこと。
煩わしいことも、順番がまわってこないことも、全部ひっくるめて、楽しい記憶です。
実は、しんどい治療を受けていた時期があります。
そのとき、ふとこの幼い頃を思い出しました。
「多くの家族に大事にされて育ったヨリブロに、こんな治療は何でもない。大丈夫。みんなに愛情いっぱいもらってきたから大丈夫!!」
誰かに言われたわけじゃなく、自分で自分にそう言い聞かせていました。
あの記憶が、勇気と力をくれた。そう思っています。
( おかげさまで、今はとても元気です。)
じいちゃん、太っちょ…もういない家族もいます。それでも、あの頃の時間は今もヨリブロの中に生きています。
田舎の家族って感じでかっこ良くないから払拭しよう、独りで生きてきた感を出そうとした 20、30 代。
その存在に気持ちを支えられ、前以上に元気になった 40 代。
誇りに思うようになった今。
大人たちが子供たちを守ってくれて、年上のいとこたちが教えてくれて、同い年のいとこたちと遊んで。
そうやって育ったから、今のヨリブロがいる、と最近しみじみ思います。
大人になって、それぞれに家庭ができて、住む場所も変わりました。
かつては毎日のように顔を合わせていたのに、今は数年に1回、会えればいいくらいになっています。
ヨリブロは50歳になりました。
いとこたちも、50代から60代へ。
あんなに近くにいたのに、あっという間にみんなバラバラになりました。
このブログでは、そんな一族のこと、あの頃の暮らしのことも本家のママちゃんや両親にも話を聞きながら、残していきたいと思っています。
ゆっくり書いていくので、これからもよろしくお願いします。読んでくれて、ありがとうございます。
( 一族の誰かに読まれたら恥ずかしいなぁ… )

