【50代の気づき】「自分を出し切る」という回路をどう作るか?高校総体を控えた甥っ子が教えてくれた、人生の主役になる方法
今日は、私の甥っ子にとって高校生活最後となる陸上競技の高校総体です。
今、この文章を書きながら、自分も陸上をしていたからか、私の胸には熱い波が打ち寄せています。
それは、一人の少年が「自分の人生の主役」になっていく過程を、一番近くで見守らせてもらった者だけが味わえる、誇らしさと感動の混じり合った感情です。今日は、スポーツという枠組みを超えて、人が「一生懸命に生きる」とはどういうことなのか。
甥っ子の3年間を通じて学んだ「人生の質を変える大切な回路」についてお話ししたいと思います。
読み終えたあと、皆さんの心が少しだけあたたかくなり、「明日からまた、自分の人生を自分の足で歩いてみよう」と思っていただけたら嬉しいです。
- 「出し切る」という回路を持たなかった少年

私の甥っ子は、幼い頃から自分の体を操るセンスに長けていました。
自然の中でかけまわり、野球、サッカー、水泳、テニス……。どんなスポーツをしても、それなりに器用にこなしてしまう。そんなタイプの子でした。
けれど、彼には一つの「空白」がありました。
それは、限界まで自分を追い込むような「しんどいこと」を避ける傾向です。
言うなれば「器用にしんどいことを避ける子供」です。幼少期の膝の成長痛のせいもあったかもしれません。連続ダッシュや長距離走など、息が切れて足が動かなくなるような練習を、彼はほとんどやらずに成長していました。
多くの人が、人生のどこかで「これくらいでいいや」とブレーキを踏んでしまうことがあります。それは、失敗して傷つくことや、格好悪い姿を見せることへの本能的な恐怖(レジスタンス)かもしれません。
幼少期の彼もまた、その安全地帯の中で器用に生きていたのです。
そんな彼が、高校で最初に選んだのは陸上部でした。種目は「幅跳び」。
私は正直、「いかにも彼らしいな」と思いました。走る距離が短く、技術とセンスで勝負できる、彼なりの「しんどくない選択」に見えたからです。
けれど、部活動という場所は、そんな彼の甘えを許してはくれませんでした。香川の強い日差しが照りつけるグラウンドで、容赦のない走り込みが彼を待っていました。練習終わりの彼が、生まれたての子牛のようにプルプルと足を震わせて歩く姿を、私は何度か目にすることになります。
高校2年、彼の専門が「幅跳び」から、「100m」、「200m」にかわっていました。
- 忘れられない、あの日見た「車椅子の衝撃」
彼が高1のときに出場した、初めてのマイルリレー(4×400m)。
(男子部員:6 名、2名が怪我で参加できず甥っ子がまさかのメンバーになりました)
これが、私の中で彼の物語の大きな転換点となりました。
400メートルという種目は、陸上競技の中でも最も過酷な種目の一つと言われます。
全速力で走り抜けるには長すぎ、体中の酸素が枯渇する恐怖と戦う距離です。
アンカーを務めた彼は、最下位でゴールしました。
ゴールした瞬間、彼は動けなくなり、自力で立ち上がることができず、車椅子で運ばれていきました。
スタンドからは、大きく引き離されて懸命にゴールした彼へ、「ビリへの拍手」が贈られました。その光景を見て、しんどい試練をやらないといけなくなった甥っ子の状況に少しだけ、「やっとその時が来た!」と思いました。
甥っ子がついに、「自分を出し切る」ということが何なのか、身体も心をもって経験したのです。
高校受験をおこない志望校に入学した彼は怠けていたわけではありません。
彼の中に、まだ体の「限界の壁を突破する」という回路がつながっていなかっただけなのです。全力を出すということは、無防備な自分を晒すことであり、結果の格好悪さを引き受けることです。
(陸上、特に短距離走は誰にも結果がわかりやすいです。)
彼の身体は、無意識にブレーキをかけていたのかもしれません。
ある研究では「苦しみ=痛み×抵抗」という公式があると言われますが、当時の彼はまさに、全力を出すことへの「抵抗」と戦っていたのかもしれないです。いや、単にしんどいからやらなかったんだ、とも思います(笑)
- 「悔しい」という言葉に隠された、真の勝利
初めてのマイルリレー(4×400m)から2年。
派手な逆転劇や、新聞に載るような華々しい記録があったわけではありません。けれど、彼は変わりました。
日々の単調な練習の反復の中で、自分の身体と対話を続ける時間の中で、彼の中の「回路」が、静かに、けれど確実につながったのです。
2年後、新入部員を迎え400メートルを再び走り抜いた彼は、自分の限界でゴールを駆け抜けました。
しかし、入ってきた1年生ランナーの方がタイムが良くあさっりマイルリレーのメンバーから漏れたとき、彼は「悔しい」と口にしたのです。
私は、この「悔しい」という言葉に、とてもびっくり驚いたのと同時に感動を覚えました。なぜなら、人はどうでもいいことに対して悔しがることはできないからです。自分の本気を賭けていないものに、悔しいと思うことはありません。
「悔しい」と思えるようになったということは、彼が自分の人生に、自分の意志で、本気で参加し始めたという証拠なのです。
「自分の限界に、自分の意志で触れに行けるようになったこと」 そのレイヤー(階層)の変化こそが、一人の人間としての、真の成長だと思うのです。
- 才能ではなく、「回路」を太くする生き方
私たちは、何かを成し遂げた人を「才能がある」という言葉で片付けてしまいがちです。けれど、本当に大切なのは才能の有無ではなく、自分の中に「全力を出す回路」が通っているかどうかではないでしょうか。
多くの大人が、人生の多くを限界の手前の「安全な場所」で過ごしています。
50代になり、体力の衰えを感じると、なおさら「無難に、効率よく」とブレーキを踏みがちです。傷つかないように、恥をかかないように、無意識に自分を守ってしまいます。
でも、甥っ子は教えてくれました。
不格好に吐き、車椅子で運ばれるような「かっこ悪い自分」を一度引き受けた先にしか、本当の意味で「自分の人生を生きる」瞬間は訪れないのだと。
自分から進んで限界の壁を叩きに行った人間だけが、手に入れることができる感情がある。それが、たとえ「悔しさ」という痛みであったとしても、それは主体性を持って生きている人間にしか許されない、高貴な痛みです。
これはブログ運営や新しい趣味、仕事でも同じです。 「面倒くさい」「失敗したらどうしよう」という思考のノイズ(Enemy)を払い、今この瞬間にクリアな意識で全力を注ぐこと。その繰り返しが、私たちの人生の回路を太くしていきます。
- 今日、最後の舞台へ。結果を超えた価値
今日の高校総体。 甥っ子は足に痛みを抱えています。もしかしたら、レースには出られないかもしれません。出たとしても、納得のいく結果にはならないかもしれません。
けれど、そんなことはもう、どちらでもいいのです。
私が見てきたのは、3年間のタイムの推移ではなく、一人の少年が「自分の人生の主役」へと脱皮していく、静かな革命のプロセスでした。
何度か正々堂々と恥をかいて、自分の100%を「出し切れない身体」から「出し切る身体」へ成長させた甥っ子、誰かにやらされるのではなく、自らの意志で舞台を欲する人になった甥っ子。その姿をしっかりと目に焼き付けてこようと思います。
おわりに:今を生きるあなたへ
もし今、あなたが「自分には何もない」「何をやっても中途半端だ」と感じていたとしても、どうか自分を諦めないでください。私も感じています。
「全力を出す回路」は、ある日突然つながるものではありません。
毎日の、なんてことのないルーチンの反復の中で
「今日は少しだけ、昨日より自分を信じてみよう」という小さな選択の積み重ねの中で
少しずつ、少しずつ通っていくものです。
私がブログを始めるのに7〜8年もかかってしまったように、誰にでも「準備期間」はあります。
甥っ子の2年間がそうであったように、あなたの今の足踏みも、決して無駄ではありません。
それは、いつか「本気の自分」に出会うための、大切なプロセスなのです。
今日、彼がどんな顔をして競技場に立つのか。 それを見守る私の心は、あたたかい誇りで満たされています。
皆さんの今日も、自分なりの「本気」に出会える、素敵な一日になりますように。
小さな一歩で構いません。いつもより少しだけ、自分の人生に参加してみませんか?
香川の空の下から、心からのエールを込めて。

